古希のお祝い年齢は?由来は?贈り物に添えるメッセージ例まで、まとめてご紹介

古希のお祝い年齢は?由来は?贈り物に添えるメッセージ例まで、まとめてご紹介

古希のお祝いをしなくてはいけないけれど、そもそも古希って何?テーマカラーは何色?古希ではどのようなお祝いの仕方があるの? 古希で贈るプレゼントにはどのようなものがおすすめなの?など、次々出てくる疑問点。そこで、この記事では、

 
      • ・古希祝いの由来とは
      • ・古希を祝う正しい年齢は満年齢か数え年か
      • ・古希祝いに紫を使う理由とは
      • ・古希のお祝いの相場はいくら
      • ・古希祝いに添えたい、感激メッセージ例
 

などをご紹介しています。

古希の由来

助手くん

私のおばあちゃんが今年70歳を迎えるから古希(こき)のお祝いをしなくちゃ、って母が張り切っているんだけど、古希って一体何なの?長寿のお祝いってことはわかるけれど、どうして「古希」って名前がついているのかな?長寿のお祝いに、「古い」「まれ」なんてマイナス要因を思わせる漢字がついているのは古希だけみたいだけど…。

博士さん

古希は中国の唐時代の詩人「杜甫(とほ)」が書いた詩の一節から取ったも単語なんだ。古希の希は、助手くんが言う通り、杜甫の詩では「稀(まれ)」と表示されていたらしいよ。だから、古希の意味合いは「70歳まで生きるとはなんとも稀な存在!」って感じかな?つまり、「まれ→とってもありがたい」との意味もあるよね。例えば「たぐいまれな才能」とか、「まれに見る美人」とか。

助手くん

70歳を迎えるって事は、子としても孫としてもありがたくて本当におめでたいことです。しっかりと古希のお祝いをさせていただきたい、と母は言っていましたよ。

博士さんの解説のとおり、干支との関連性でお祝いする還暦とは少々違う古希祝い。「70歳まで生きるって大変なのによく長生きしてくれました!ありがとう&おめでとう」との意味合いがあります。

古希の意味

助手くんの質問にもありましたが、まずはじめに知りたくなるのが「古希」の意味です。

「古希」という言葉は日本由来ではなく、はるか昔の中国で、唐(618〜907年)の時代に活躍した詩人である「杜甫」が彼の詩の中で用いた言葉なのです。

古希の単語を作った杜甫ってどんな人?

古希の単語を作った杜甫ってどんな人?

詩人である杜甫をご存知ない方でも以下の一説には聞き覚えがあるはず…。

"『春望』(杜甫)より"
  • "国破山河在(国破れて山河在り)"
  • 都は戦乱で破壊されたが、山や川は荒れ果てたままだが残って入る
  • "城春草木深(城春にして草木深し)"
  • 城は春になって草木が茂り、誰も手入れをしていない
  • "感時花濺涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)"
  • 昔は花を見つけては春の到来を喜んでいたのだが、今はただ涙が流れるのみ
  • "恨別鳥驚心(別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)"
  • 遠く離れ離れになった家族を心配していると、昔は心がなごんでいたはずの鳥の声にもビクッとしてしまう・・・
助手くん

あっ!この文、どこかで聞いたことがあるよ。

博士さん

中学生時代に習ったんじゃない?もともとは中国で杜甫が書いたものだけど、日本に伝わってからは松尾芭蕉が彼の一節を引用して「夏草や兵どもが夢の跡」の前文にも使っているほど有名なんだ。

「国破れて山河在り」と、皆さんも漢文か古文の時間に習った記憶がおありでしょう。

まるでこの世が崩壊するかのごとく思われた混迷はようやくおさまりはしましたが、そのあとで目にした変わり果てた我が祖国。国は滅び、秩序は失われ、人々は食べるものもなく、荒れ果てた有り様を詠んだ、漢詩『春望』中の有名な一節です。

古希の単語を作った杜甫ってどんな人?

この詩を詠んだ時期、杜甫は家族とともに疎開した先で不運にも捕らえられ、愛する家族とは離れ離れの軟禁状態にありました。そんな辛い諸事情が絡み合って深い感慨となり呟かれたこの漢詩は、後に日本人の心の琴線に触れることになります。

一例として、生涯を通じて杜甫を自分の師と仰いでいた松尾芭蕉は『おくの細道』の「平泉」で引用、その結果、日本ではますます知名度を増していきました。

『春望』で、杜甫は「国がなくなっても山や川などの自然の営みは残るものだから安心しなさい。そのうち再生するでしょう」と楽観的な事を言っていません。荒廃した国土を目の当たりにして、夢も希望も持てない底知れぬ不安感と無常感がひたひたと冷たく胸に押し寄せてくる様を詠んでいます。

癒されることのない絶望感の中で、国境を越えて人間の魂を揺さぶるような漢詩を生み出した杜甫ですが、彼の一生は決して「万事が順調」とは程遠いものでした。

死後に高まった杜甫の名声

杜甫の没後に、彼の詩は評価が高まり「詩聖」と称されましたが、エリート一家に生まれたため生存中は官吏を志すものの出世街道を歩いたわけではなく、毎日出勤しても面白くもない日々を送り、困窮の果てに我が子を餓死させてしまった経験もあります。

では、次に、心なしか自暴自棄に陥ったかのように見える杜甫の詩をご紹介します。

古希のルーツとなった杜甫の漢詩とは?

古希のルーツとなった杜甫の漢詩とは?

古希とは、杜甫がしたためた別の漢詩『曲江(きょくこう、きょっこう)』に含まれる言葉です。

"『春望』(杜甫)より"
  • "朝囘日日典春衣(朝よりかえりてひび春衣をてんし)"
  • 朝廷での勤務がおわると、衣服を質に入れる日々が続いている
  • "毎日江頭盡醉歸( 毎日 こうとうに酔いを尽くして帰る)"
  • そうやって金を手に入れて毎日川の畔で酒を飲んでから自宅に戻っているんだ
  • "酒債尋常行處有(酒債は尋常、行ところに有り)"
  • 今の自分は酒はあちらこちらでツケで飲んでいる状態だ
  • "人生七十古来稀(人生七十 古来稀なり)"
  • だからなんだって言うんだ。情けない自分だけれど、所詮人間が70歳まで生きるなんてありえないこと、だからこそ生きているこの瞬間を楽しもうじゃないか

これは七言律詩の一部ですが、杜甫が47歳の時に作ったものとされています。

古希のいわれである杜甫が「人生は70歳で終わる」と記した理由

助手くん

でも、どうして杜甫さんは70歳まで生き延びることは稀、だなんて寂しいことを思ったのかな?いくら出世できないし、自暴自棄になったとは言っても、47歳の時って脂が乗って仕事もガンガンこなしている歳、って印象だけど…。

博士さん

それは、多分、彼が受けた教育が影響しているんじゃないかな?杜甫さんは孔子の儒教に傾倒していた、と言われているからね。

確かに、助手くんが言っているように、47歳の杜甫がなぜ人生を「70歳」までと限定しているのか不思議に思います。

いろいろと調べてみた結果の私見ではありますが、彼が儒教を信奉していたからではないか、と思い当たりました。

古希「70歳」は孔子の没年がヒント?

古希「70歳」は孔子の没年がヒント?

杜甫が学んだ儒教の元祖、それは紀元前の中国に生誕した孔子です。

古希の命名者である杜甫が目指した孔子の儒教

日本では神武天皇が初代天皇になったのは紀元前660年とされています。それに近い年代に釈迦(前560?)と孔子(前551?)も誕生しています。さらにその後に誕生したキリストと並んで、孔子は世界の三聖人の一人と称されるようになりました。

孔子は論語のもととなる精神的基盤を作り上げ、71歳(72歳や73歳の説もあり)の4月11日に没した、とされています。

従って、孔子に心酔していた杜甫も「孔子と同じく、70歳くらいまで生きることができればいいのではないか」と思っていたのかもしれません。

しかし、その時代に生きていた人すべてが「人生70年」と同じ事を信じていたわけではありません。

杜甫と同時代に生き、杜甫の友人でもある詩人の李白は「人生100年」と称して、楽しくお酒を飲んでいた模様です。

古希命名の杜甫の友人「詩仙・李白」の夢は100歳!?

古希命名の杜甫の友人「詩仙・李白」の夢は100歳!?

杜甫の友人で「詩仙」と称されて、同時代に活躍していた李白は、人生は「100歳」とした詩を詠んでいます。

自由奔放で天才肌、浪漫詩人にも例えられる李白は道教を修めたからか、人生を無為自然に捉えて100歳まで生存できる、と酒を飲みながら呑気に構えていたのでしょうか。

それに対して真面目な杜甫は儒教の理想を追い求め、叶わぬ厳しい現実と師である孔子の生涯を見据えて70歳としたのかも。一生は70年か100年か…、人によって感じる寿命には差があるでしょうが、二人が人生を語り合いながら酌み交わしたお酒の味は、今も昔も変わらず美味だったことでしょう。

助手くん

杜甫さんと李白さん、同時代で活躍していた「酒友」だったのねー!彼らが飲んだお酒ってなんだったんだろう?

博士さん

当時の文献には紹興酒だけではなく「白酒(バイジュ、パイチュウ)」の記事があり、杜甫さんや李白さんの詩にもそれらしい言葉があることから、蒸留酒(焼酎)も飲んでいた可能性もあるね。

助手くん

白酒の材料って何?日本みたいにお芋を使っているのかな?そして、どんな味なのかな〜?

博士さん

白酒の原料はコーリャン、とうもろこし、芋類、大麦、小麦など。アルコール度数が高いけれど、飲みやすいのは日本の焼酎と一緒だね。

その後、儒教は日本に伝来して日本人の道徳精神のよりどころになりました。したがって、杜甫の漢詩は日本人の心に響くものとして人気が高まり、李白の「人生100年説」よりも杜甫の「70年説」の方に軍配が上がったものと思われます。

「古希」語源の詩を作った杜甫、古希に届かず59歳で没す

ちなみに杜甫は亡くなる3年ほど前から家族と舟で生活していたと言われています。そして770年の冬にその舟で59歳で病死したとのこと。

杜甫は死ぬまで家族に暖かい家を用意してあげられなかったことを後悔していたと記されています。不遇な人生ではありましたが、後11年ほど頑張ってくれたら見事70歳で、当時としては稀な「古希」のお祝いをしてもらっていただろうに、と非常に残念です。

さて話をもとに戻しましょう。

当時の長寿のお祝いは40歳から10年刻みで行われていましたが、この杜甫の詩が伝わり、人々も長生きするようになったことで70歳も祝うようになりました。

現在では「還暦」や「喜寿」でも長寿のお祝いをしますが、これらは比較的新しくできた長寿祝いです。「古希」の方が長い歴史を持っていたことがご理解いただけたことと思います。

こきは「古希」と「古稀」のどちらが正しい?

助手くん

「こき」には「古希」と書く人と「古稀」と書く人がいるけれど、どちらを使えばおばあちゃんに失礼にあたらないのかな?

博士さん

結論から言うと、お祝いする気持ちさえあればどちらでもOKってことかな。

実際には「古稀」の「稀」は常用漢字ではない、という理由で、現在では通常「希」を用いることが多いようです。しかし、「稀」と「希」の違いは、

「まれ、滅多にない」の意味。「貴重な印象」を受ける文字。常用漢字ではないが人名用漢字として使っていいことになっている。

こちらも「まれ、滅多にない」の意味。後日に「のぞみ」の意味で使われることが多くなった。

 

とのことで、ほとんど差はありません。

古希を迎える方が、「稀」の字を使うことで「生きているのがまれな歳なのにまだ生きている」なんて感じる方なら「希をお使いになればいいのです。現在では希は希望をイメージすることも多くなってきたので、古希を迎える人が「希望の希がいい♡」と前向きにおっしゃるのならご要望に沿ってお使いになってください。

逆に「希」を使うことで「古めかしい希望、だなんて現代では無用で縁起でもない」などと否定的に捉える方であれば、「稀」をお使いになってはいかがでしょう。杜甫が用いた正統派の文字です。常用漢字ではありませんがパソコンではちゃんと表示されるし人名にも使っていいのだから問題ありません。

以上をまとめると、

「古希」「古稀」、どちらを使う?

「古希」を使った方がいい場合

本人が「生きているのが稀(まれ)と言われるまで生きている」と否定的に捉えている場合

「古稀」を使った方がいい場合

本人が「古希」を「古い=くたびれた希望」と否定的に捉えている場合

些細なことですが、文字の使い方ひとつでつむじを曲げられる方もおられます。ご本人が喜ばれる文字を使って楽しくお祝いしましょう。

古希は満年齢で祝う?数え年で祝う?お祝いの色は?その他の長寿祝いは?の疑問解消一覧表

>古希は満年齢で祝う?数え年で祝う?お祝いの色は?

還暦のお祝いは満年齢でお祝い、とはよく聞きますが、還暦の次の長寿祝いである古希は満年齢と数え年のどちらでお祝いすればいいのでしょうか?

 
厳密に言いますと、還暦の次には緑寿(ろくじゅ)祝いというものがあります。 緑寿祝いは伝統的な長寿祝いに加えられた新顔の長寿祝いですが、100歳時代を生きる現代では65歳の定年退職祝いとも重なるため、最近では注目する人も増えています。
 

緑寿祝いも含めて還暦のお祝い以降は数え年でお祝いする、とされていますが、最近では数え年を使う人は少なくなっているので、キリのいい満年齢でお祝いしても問題はありません。例えば、古希のお祝いは数え年の70歳(満年齢で69歳)でお祝いしますが、1年後の満年齢70歳(数え年で言えば71歳)でお祝いすることも可能なのです。

さて、ここからは古希を含めて、その他の長寿祝いの特徴(名称、年齢、由来、お祝いカラー)をご紹介します。これから日本人は100歳長寿が普通になるかもしれないので賀寿は立て続けにやってきます。

一度目を通していただければ、後日「しまった!忘れていた」と後悔することもなくなるのではないでしょうか。

 

"還暦(かんれき)"

  • ・年齢:満60歳、数え年61歳
  • ・由来:生まれた歳の干支に戻るおめでたい年で中国伝来のお祝い年です。
  • ・テーマカラー:赤
 

"緑寿(ろくじゅ)"

  • ・年齢:満65歳、数え年66歳
  • ・由来:年齢の66を「緑緑」と語呂合わせして簡略化したもの。定年を迎えた世代の新たな出発をお祝いする年で、発祥は百貨店だとか。
  • ・テーマカラー:緑
 

"古希(こき)"

  • ・年齢:満69歳、数え年70歳
  • ・由来:漢詩の「人生七十古来稀」をもとに生まれた、中国が関連するお祝いです。
  • ・テーマカラー:紫
 

"喜寿(きじゅ)"

  • ・年齢:満76歳、数え年77歳
  • ・由来:「喜」の文字が「七」の字を3つ重ねたように見えることから始まった、日本発祥のお祝いです。
  • ・テーマカラー:紫
 

"傘寿(さんじゅ)"

  • ・年齢:満79歳、数え年80歳
  • ・由来:「傘(さん)」の文字の略字は「仐」。それが80に見えることから、傘寿と呼ばれて祝うようになった日本発祥の長寿祝いです。
  • ・テーマカラー:ゴールド
 

"半寿、盤寿(はんじゅ、ばんじゅ)"

  • ・年齢:満80歳、数え年81歳
  • ・由来:お釈迦様の教えによると、人間の寿命は160歳。80歳はその半分なので半寿としてお祝いする仏教由来のお祝いです。しかし「半」の字が「八十一」の組み合わせでできているように見えるからか、傘寿のお祝いと重なるからか、81歳でお祝いすることになっています。
  • ・「盤寿」の方は将棋盤のマス目の数は9×9=81であることが由来。主に将棋界で81歳になった方をお祝いします。
  • ・テーマカラー:ゴールド
 

"米寿(べいじゅ)"

  • ・年齢:満87歳、数え年88歳
  • ・由来:お米の文字を分解すると「八十八」になることで米寿と称してお祝いします。この米寿は農耕文化民である私たちにとっても身近な文字で、末広がりの「八」が二つもあるのでおめでたさも倍増。
  • ・テーマカラー:ゴールド
 

"卒寿(そつじゅ)"

  • ・年齢:満89歳、数え年90歳
  • ・由来:「卒」の略字は「卆」。この文字が90にも見えることが卒寿祝いの由来です。
  • ・テーマカラー:深い紫
 

珍寿(ちんじゅ)"

  • ・年齢:満94歳、数え年95歳
  • ・由来:「珍」は「王」(「一」「十」「一」に分解される)と右の旁の文字(八と三)を合計したものから来ています。えっ?と思った方は、暗算には優れていますが、ユーモアが足りません(笑)。(八と三)は83のことで〜す♪ 油断のならない由来ですね!
  • ・テーマカラー:深い紫
 

"白寿(はくじゅ)"

  • ・年齢:満98歳、数え年99歳
  • ・由来:「百」から一を取ると「白」になり、計算上も99になることが由来です。
  • ・テーマカラー:白
 

"百寿(ひゃくじゅ、ももじゅ)"

  • ・年齢:満99歳、数え年100
  • ・由来:文字通り100歳のお祝いです。1世紀も生きることができたおめでたい日なので上寿(じょうじゅ)や紀寿(きじゅ)、百賀(ももが・ももじゅ)などとも称されます。
  • ・テーマカラー:ピンク
 

"茶寿(ちゃじゅ)"

  • ・年齢:満107歳、数え年108歳
  • ・由来:「茶」の字はくさかんむりが「十、十」で、その下部分が「八十八」と見えることが由来となっています。別名「不枠」とも呼ばれていますが、さて、その由来はお分かりですよね。「枠」の字は「10、8と90」だからとのことです。さて、その心は「枠を超えた」という意味らしく「不惑」の歳。108歳になってやっと「不惑」にたどり着く、とは、長い道のりですね。
  • ・テーマカラー:なし。お好きな色で
 

"皇寿(こうじゅ)"

  • ・年齢:満110歳、数え年111歳
  • ・由来:「皇」の上部分の「白」は、百寿でご説明した通り99を意味し、下部分は2と10に見えることから、99+12で111になることが由来です。「川寿」とも呼ばれます←こちらは簡単に解明できますね!
  • ・テーマカラー:なし。お好きな色で
 

"大還暦(だいかんれき)"

  • ・年齢:満120歳、数え年121歳
  • ・由来:60歳に還暦のお祝いをしましたが、その干支にまた戻ってきました、の年です。「昔寿」とも言いますが、ここまで目を通された読者さんならもうお分かりですね。「昔」の文字は「二十+百」に分解されるからです!
  • ・テーマカラー:なし。お好きな色で
 

"天寿(てんじゅ)"

  • ・年齢:満249歳、数え年250歳(160歳の説もあり)
  • ・由来:番外編ですね!「天寿」とは「あらかじめ定まっている寿命」の意味がありますが、「250歳」という年齢の呼称でもあります。
  • ・テーマカラー:なし。お好きな色で
 

大部分がクイズっぽいノリになってしまいましたが、2020年に発表された最新の日本人平均寿命は男性が81.25年、女性が87.32年です。現在のペースで行けば100歳を超えて生きる人もそれほど珍しくもない日が来るので、100年手帳にでも記入しておいた方がいいかもしれませんね。

古希のテーマカラーはなぜ「紫」?

古希のテーマカラーはなぜ「紫」?
助手くん

今や誰でも着ている紫の服だけど、昔は高貴なお方限定カラーだったのね。だから、古希のお祝いに使われるようになったのかな?

博士さん

実は、中国の長い歴史の中では、紫色は原色じゃないから、との理由で好まれなかったこともあるんだよ。

日本では聖徳太子が「冠位十二階」の制度で最上位の位階を示す色、と定めた紫。それ以降、紫色は高貴な方だけに許された色、との認識があるため一般人には馴染みのない色でした。

しかし、今や一般人が古希をお祝いするときに用いる色は紫。では、王位や高級をイメージする色である紫ををなぜ古希に使うようになったのでしょうか。

古希のテーマカラーについて儒教の孔子曰く「紫は邪悪な色」!

儒教の開祖である孔子は、『論語』の中の「陽貨第17章」で紫について言及していますが、それは否定的なもので「邪悪な色である」と決め付けています。その当時は、正色(青、赤、黄、白、黒)が最上のカラーで、それ以外は「中間色」として下位に位置付けられていたのです。

その理由としては以下のことが原因と考えられます。

  • ・当時の紫色の衣類を作るためには紫草の根から液体を抽出して染めていたのですが、すぐに色落ちして色合いは安定していなかった
  • ・孔子が尊重する周王朝では赤を最高の色として定めていたから紫を否定
 

しかし、孔子以降の世では、巻貝の分泌液を使って紫色に染めるようになりました。この方法では、服を一着作るために巻貝を最大数万個も必要とするため非常に高価な衣料となり、南北朝時代から紫は高貴な色として珍重されるようになります。

この紫色の日本への伝来は推古天皇の時代で、遣隋使によってもたらされた、とされています。

古希のお祝いに紫色を使う意味

古希のお祝いに紫色を使う意味

古希祝いのテーマカラーは紫です。

紫は孔子の時代は嫌われていたようですが、手に入れるための価格が高騰するに従って高貴な人のカラーとなりました。

紫が示す意味合いは、以下の通りです。

  • ・古代ヨーロッパでは、皇帝とその権利を表す
  • ・紫色のおくるみに包まれた赤ちゃんは王室で生まれたことを表す
  • ・紫色のドレスを着て結婚式を挙げることは貴族と結婚することを表す
  • ・古代ギリシャでは賢い哲学者だけが用いるローブの色とみなされた
  • ・中国では幸運と富をもたらす縁起の良い色ともされる

また、カラリストによると紫を好む人は、

    • ・賢い
    • ・落ち着いている
    • ・ある程度の年齢を重ねている
 

とのことです。

古希を迎える方のすべてが紫色を好まれるかどうかは分かりませんが、紫色に包まれると悪いことが起こらないのは確かなようですね♪

古希祝いの相場

古希祝いの相場

さて、次に頭を悩ませるお祝いの金額です。

お祝いしてもらう側としてはその事実だけで喜ばしいことなので、金額の多い、少ない、は問題ではありません。

しかし、70代の親御さんの子供世代ともなると、社会でも責任ある立場の人が多いはずです。ご自分の両親とは言え、しっかりとしたお祝いをして、ここまで育ててもらったお礼を述べたくもなるものです。

自分の両親が古希を迎える場合、祖父母が古希を迎える場合

社会的にも重職にある方の場合、ご両親をお祝いする場合は最高で10万円、昨今の不況のあおりを受けている方などは1万円から、と柔軟に見積もっておいてはいかがでしょうか。

祖父母の古希をお祝いする場合は、孫の立場になりますので5,000〜10,000円。親戚や友人の古希をお祝いする場合は、5,000円程度を見ておきましょう。

古希祝いのセッティング

特別な決まりはありませんが、ホテルやレストランなどで食事会を催す方が多いようです。

あるいは自宅でケータリングを利用するという方法もあります。わざわざ出かける必要もないので、おうちで気兼ねなくくつろいでお祝いする形式も好まれるでしょう。

古希祝いに添えたい、心にグッと来るメッセージ

古希祝いの相場

古希祝いのプレゼントが決まったら、次に考えなくてはいけないことがプレゼントに添えるメッセージや手紙。今までお世話になってきたからこそ、心に残るお祝いの言葉を考えましょう。

「古希」の意味をかけてメッセージを贈る

「古希」の意味をかけてメッセージを贈る

70歳を古希としたいわれは、杜甫の漢詩・曲江からきていることをご紹介しました。そして、杜甫が学んだ学問は儒教であることもご説明しましたが、儒教の祖である孔子は、論語の中で70歳を『従心所欲 不矩踰』である、としています。

その意味は、「70歳になると自分がしたいと思ったことをやっても、人の道を踏み外すような結果にはならなくなった」とされています。つまり、偉大な孔子様も69歳までは好き勝手をしていると周囲に迷惑をかけることが多かった、というわけですね。

ということで、「従心」を引用した古希祝いのメッセージの例文をご紹介します。お気に召されたら、適当にアレンジしてご使用ください。

古希祝い:お父様へ

お父さん、古希を迎えられておめでとうございます。

以前、若い頃に世間を騒がせた学生運動の話をちらりとされていたこともありましたね。自分はしらけていたから興味はなかった、とおっしゃっていましたが、いわば激動の時代を見てきたお父さんが古希祝いをする年齢になるなんて、ご自分でも信じられないでしょう。それくらい、外見も心もまだ若く見えますよ。

70歳は論語では「従心」と称しています。なんでも「この歳になると何をやっても人に迷惑をかけないようになってきた」ということらしいですが、私としては、お父さんはおじいちゃんぽくならないでもっとヤンチャでいて欲しい、と願っています。もちろん、迷惑をかけない程度に、ですが…。

孫の世話をしてもらうのはとてもありがたく思っていますが、お父さんにはもっと充実した人生を楽しんで欲しいのです。

家にこもっているよりも、昔とった杵柄で「シルバーツーリング」やカメラの腕前を駆使して、お母さんと一緒に「撮り鉄」の旅、なんていかがでしょう。体験談や写真をアップするためのブログ作りも楽しくて、1日があっという間に過ぎてしまいますよ。

その時はお手伝いしますので、なんなりとお申し付けくださいね!

 

古希祝い:お母様へ

お母さん、古希をお迎えになられておめでとうございます。

古希になられてもいつまでも若々しいお母さんが、実は自慢なんです。これからもお肌のお手入れやファッションに気を抜かないで、いつまでも美しくいてくださいね。

実は、お母さんにこの手紙を書くにあたって、どんな青春時代を過ごしてこられたのかなと思ってググってみました。ちょうどウーマンリブの時代だったんですね。

お母さんは運動には直接参加したことはないとおっしゃっていましたが、草の根での女性の主張があったからこそ、今の女性の地位が築かれたのだと思います。私が頑張ってここまでやってこられたのも、お母さんの時代のウーマンリブ運動があってこそ。お母さんの時代の人には頭が上がりません。

さて、お母さんの最近の趣味は花の写真撮影だとか。私も拝見しましたが、一枚一枚の写真に花への愛情が溢れていて、見ていても心満たされます。

論語では古希とは従心の世代とされています。何をしても迷惑をかけないようになった、との意味らしいですが、今まで子育てやお父さんの世話に明け暮れて、自分は二の次にしていたお母さん。少しはハメを外して人生を楽しんでもいいと思います。たまにはお父さんや私たち子供に迷惑をかけてくれてもいいんですよ。

そしてこれからも、お父さんと末長く楽しく1日1日をお過ごしください。気が向いたら、若い頃にハマった「ゴーゴー」を二人で踊って見せてくださいね。私の子供たちもとっても楽しみにしていますからね〜( ̄▽ ̄)!

 

古希70歳ではなく「100歳がまれ」と言った人もいる!

古希70歳ではなく「100歳がまれ」と言った人もいる!

古希は「70歳はまれ」が語源とされていますが、実は「100歳はまれ」と言った人もいます。

それは、20世紀でもっとも影響力のある書家と称されている沙孟海(さもうかい)。彼が80歳を迎える友人に贈った言葉は「人生、古来より百歳は稀なり、九十歳は奇とするに足る無し、八十歳は大いに為すべし、七十歳は得ること多し・・・」。

彼によると70歳はまだまだ勉強して習得することが多い歳、つまり沙孟海さんによると「若造」ということになります。

杜甫さんの漢詩を読んでいますと「あ〜、70歳で終わりか…」(失礼!)な気分になりますが、沙孟海さんの文を読むと「80歳になってもまだやることがいっぱいあるじゃん!」とお尻を叩かれている気がしませんか?

現代ではどちらかというと沙孟海さんの文がぴったり来るのではないでしょうか。

古希の皆さん、自分は稀な歳まで生きたんだから、と納得してはいけません。まだまだ学ぶべきことが山積しているのです。

杜甫さんの漢詩も素晴らしいのですが、沙孟海さんの言葉も胸に刻み、70歳代を意義ある学びの時代と捉えて多忙な80代に備えておきましょう♪