神事

「日本書紀」によると、日本最初のお酒は「天甜酒(あまのたむさけ)」といわれています。天甜酒を最初に作ったのは「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」という女神です。

日本書紀によると、ある日 木花咲耶姫の住む地に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)という神様が訪れ、木花咲耶姫の美しさに一目見て好きになってしまいます。二人はすぐに結ばれ、木花咲耶姫は懐妊します。しかし瓊瓊杵尊は一晩のうちに懐妊したことを信じられず、木花咲耶姫をののしります。木花咲耶姫は神の子であることを証明するために自らの家に火を放ち、火の中で出産します。自らの潔白を証明した木花咲耶姫は、子供の誕生を祝うために父である大山津見神(おおやまつみのかみ)と共にお酒を造ったといわれています。

ここで、造られたお酒が「天甜酒(あまのたむさけ)」です。「甘酒」の原型、「日本酒」のはじまりと言われているお酒です。

https://www.instagram.com/p/BykvtiMAZli/?utm_source=ig_web_copy_link

甘酒の歴史

中国の書物によると1世紀ころには、日本人は酒を飲んでいたという記述があります。その後に書かれた3世紀の史書「魏志倭人伝」にも、お葬式の時に酒を飲む風習があるとかかれておりお酒の存在はわかっています。 

持統3年(689年)には国の官職として造酒司(さけのつかさ)が置かれ、お酒は国が管理するようになっていきました。

酒の種類などが書かれた木簡(木の紙)も出土し、少なくともこの頃には米で出来た酒が存在していたことが分かっています。また、各地の「風土記」にも米で作られた酒という記載も出始めます。

そもそも酒造りは、縄文時代から果実酒のようなものは作られており、酒造技術自体は古来より日本人は持っていました。しかし、米という原料にいつ切り替わったのかは今のところ不明のようです。一般的には、稲作が安定して作られるようになってからといわれています。

甘酒は米、米麹、水を用いて作られています。米麹というのは、米に麹カビを生やしたもので、その歴史はまさに日本酒の歴史に直結します。糖を酵母が食べアルコールを精製して酒が造られますが、米などのデンプン質の植物を原料とした場合、デンプンを分解し、酵母が利用できる糖に変えなければなりません。

日本では古来、この酵母が利用できる糖を米のデンプンから得るために、唾液の酵素を利用する手法で奈良時代(700年頃)に書かれた「大隈国風土記」には「口噛ノ酒」として書かれています。近年では世界的にも大ヒットしたアニメーションフィルム「君の名は。」でも登場したことで多くの方に知られることとなりました。また、「播磨国風土記」に「神棚に備えた米飯が雨に濡れてカビが生えたので、これで酒を醸して神に捧げ、宴を催した」と書かれており、米麹を用いた酒造りの始まりを読み取ることができます。

奈良時代(700年頃)の「万葉集」に収められた「貧窮問答歌」に「糟湯酒」として、酒粕甘酒が冬の季語で登場しています。室町時代(1400年頃)の「公事根源」には「醴酒」として6月∼7月末まで作られていたとあります。江戸時代(1840年頃)には今でいう百科事典「守貞漫稿」に「甘酒」として、真夏の滋養強壮剤として市民に親しまれていたとあり、現在、でも甘酒は夏の季語として扱われています。江戸幕府が国民の健康を守るために、甘酒の価格を設定していたというくらい市民に親しみのある健康食品として、当時も広く知られていました。

 

甘酒と日本酒の製造工程

甘酒と日本酒の関係性はその製造過程を見るとよく分かります。

  1. 米と麹で発酵 ※酒粕でつくればアルコール入りの甘酒になる
  2. 甘酒が出来る(アルコール成分ほぼなし)
  3. 甘酒に酵母を加え、さらに時間をかけて発酵(アルコール度数が上がる)
  4. ろ過して、清酒が日本酒に、残りが酒粕になる。※ろ過しなければいわゆる「どぶろく」

 

このように日本酒の製造過程で必ず甘酒がつくられます。つまり、日本酒の歴史が甘酒の歴史ともいえるわけです。

そして現在、健康ブームと共に甘酒は「飲む点滴」として再び注目を集めるようになりました。

健康食品としてだけでなく、昔から神社の初詣というと甘酒がつきものです。寒い日に温かい甘酒を参拝者に振る舞う光景は、新年の風物詩でもあります。 神社のお酒といえば「お神酒(おみき)」ですが、甘酒も原料は米です。米は神様とかかわりの深い穀物であり、米から作られた甘酒やお神酒は神聖なものです。

米は神様がくれた恵みなので、今でも収穫された米に感謝して、農家では甘酒をつくり奉納する行事が全国各地で見られます。

甘酒やお神酒を参拝者に配布することは、神様とともに新年を祝うこと、神様と一体になることを表しています。

古来より日本には、同じものを食すことは相手と一体になるという風習を持っており、これはその名残ではないかとも考えられます。

また、新年に飲む「お屠蘇(おとそ)」も縁起の良いものとして飲まれる酒ですが、それと同じ意味合いもあります。お屠蘇は薬膳酒なので、飲みにくい上にアルコール分も含まれていますが、麹から作られた甘酒は子供でも飲むことができ、老若男女が楽しむことができます。

このような理由から、全国各地の神社では、新年の初詣時期以外にも甘酒祭りや、甘酒をお供えするなど甘酒と神社には深い関係があるのです。

また関西では、酒粕で作られたお雑煮もありますが、これも新年に向け神社に奉納した清酒の酒粕を使用し、縁起担ぎや、神様との共食につながった伝統的な食文化といえます。

 

 

お神酒を製造する神社

中世ヨーロッパでは、キリスト教が歴史の中心となっていました。政治にも必ずキリスト教が関係し、人々の生活にもキリスト教は深く関わっています。ワインは「キリストの血」とされ、神聖で貴重なものとされてきたのです。当時の教会や修道院は、学校や研究所といった役割も果たしていたため、ブドウ畑を開墾したりワイン醸造の技術を高めたりと、ワイン造りに注力しました。

このような動きもあり、17世紀頃には、現在のワインの販売形態に近い「ビン詰め・コルク栓」のワインが登場するようになり、ワイン造りが発展しました。

日本でも、神社には必ずお神酒が置いてあり、神事に酒は欠かせないものです。お神酒を醸造する神社もあり、「御神酒清酒醸造免許神社」を取得している神社が、 伊勢神宮、出雲大社、岡崎八幡宮、莫越山神社と、全国に4社あります。その他 「どぶろく」の醸造免許取得神社が40社ほどあります。免許のいらない甘酒をつくる神社などを併せれば、相当数の神社が酒をつくっていることになります。

「酒は百薬の長」といわれる程、古代では珍重されていました。甘酒や濾して残った酒粕は栄養価が大変高いことでも知られており、神社は中世ヨーロッパの修道院同様、人々の精神的な拠り所だけではなく、心身ともに健康的な生活に貢献する存在だったのではないでしょうか。

 

日本神話に登場する酒の神様

醸造を行う神社のほかに、お酒の神様を祀った神社も数多くあります。

 

大神神社(おおみわじんじゃ)

日本で最古の神社といわれる大神神社(奈良県桜井市三輪)は、酒造りの神様として全国に知られ、酒造家たちの厚い信仰を集めています。酒の二大神である、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っており、また、本殿北側にある活日(いくひ)神社には杜氏の祖と言われる高橋活日(たかはしいくひ)が祀られています。また、「杉玉」発祥の神社です。

大神神社では、毎年1114日になると「おいしいお酒ができるように」という願いを込めて杉玉を飾ってきました。その風習が江戸時代の初期頃から全国の酒蔵に広がり、今ではさまざまな場所で杉玉が見られるようになりました。

杉は大神神社がある三輪山に多く自生する木で、三輪山の杉は神聖とされているため、この神杉を使った杉玉ができたとされています。本来は三輪山の杉で作られた杉玉を酒屋の看板として飾ることが習わしでしたが、現在は各地の酒蔵が自分たちで製造したり、業者に依頼したりして作ることもあるようです。また、三輪は「神酒(みき)」の語源ともいわれています。

松尾大社(まつおたいしゃ)

松尾大社(京都市西京区嵐山宮町3)は、京都盆地の西一帯を支配していた秦氏により、西暦701年(大宝元年)創建された京都最古の神社です。渡来人の秦氏に酒造りの技能者が多く見られたことから、室町時代末期頃から「酒造第一祖神」として崇拝されるようになりました。

祭神の大山咋神おおやまくいのかみ)は比叡山を守る神ともいわれる神様で、別名を「山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)」とも呼ばれ、「賀茂別雷神(カモノワケイカズチノカミ)」の父神と伝えられています。中津嶋姫命は宗像三女神の「市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)」のことで、天照大神と素戔嗚尊(スサノオノミコト)の誓(うけい)で生まれた神様の一人です。

松尾大社は酒の神様としての信仰で有名です。毎年11月の酒の仕込み始めの頃に行われる「上卯祭」と、4月の酒の仕上がりの頃に行われる「中酉祭」には、全国各地の酒造から銘酒が奉納されることでも有名です。

松尾大社にある「酒由来の事」には、神代の昔に八百万の神々をもてなすため、山田(嵐山)の米を蒸して酒を造り、それを過ぎで作った器に入れて饗応したと記録されています。

また、境内には「お酒の資料館」があります。

https://www.instagram.com/p/B63NXmgAslK/?utm_source=ig_web_copy_link

梅宮大社(うめみやたいしゃ)

梅宮大社は、酒解神(さけとけのかみ)、酒解子(さけとけのみこ)を主神とした酒の神をまつる神社で、京都市右京区の桂川の東、四条通りの北側に位置しています(京都市右京区梅津フケノ川町30)。もともと、京都府南部の綴喜郡井手町にあった橘氏の氏神を平安遷都と共に現在の場所へ移したとされています。松尾大社と同様、11月上卯の日に「醸造安全繁栄祈願祭」(上卯祭)、4月中酉日に「献酒報告祭」(中酉祭)が行われ、酒造関係者らが参拝しています。

祭神はいずれもこの神社特有の神様で、酒解神は木花咲耶姫(彼女も酒神として数えられる)の子供です。

 

以上の三社は「日本三大酒神社」として知られ、全国の杜氏や酒会社の信仰を集めています。

世界には、酒神としてローマ神話のバッカス(ディオニソス)やインド神話のソーマなどが知られていますが、「八百万の神」という言葉が表すように、日本にも数多くの酒神がいるのです。

 

甘酒の種類

甘酒には麹を使用したものと酒粕を使用したものがあります。

麹甘酒はノンアルコールですが、酒粕甘酒は酒粕を利用してつくられているので、アルコールを含みます。酒粕には8.8%程度のアルコールが含まれていますが、加熱することにより、酒粕甘酒のアルコール度数は1%未満となります。

https://www.instagram.com/p/B-Bvnj6lFr0/?utm_source=ig_web_copy_link

また、いずれも健康ドリンクとして豊富な栄養分が含まれていますが、麹甘酒と酒粕甘酒では少しずつ効能が違います。麹甘酒は麹菌によって生成されたブドウ糖やビタミン類などがたくさん含まれており、疲労回復に効果的なため、「飲む点滴」といわれています。一方、酒粕甘酒は麹と酒粕の効果で、麹甘酒の成分にプラスして、アミノ酸や食物繊維が多く「飲む美容液」といわれています。麹甘酒は麹の発酵により自然な甘みがでますが、酒粕甘酒は砂糖を加えて甘みを出します。

 

また甘酒の歴史というと、一般市民に親しまれていた江戸時代を思い浮かべますが、それよりもはるか昔から健康のために欠かせない食材として使用されていました。

万葉集には「寒いから酒粕と溶かして飲んだ」という歌があり、古代の税務帳にも「病人の下級役人に酒粕配った」という記述がみられます。

 

日本には古来より神様に対し、春には豊作を祈願し、秋には収穫を感謝する祭りの文化があります。祭に欠かせないものとして、神様への供物「御神饌(ごしんせん)」が挙げられます。この御神饌の中で特別なものが、お米やその加工品になります。お米の加工品の代表的な物には餅・お神酒(日本酒)そして、甘酒があります。

米は神様が天界で育てていた作物で、地上でも育てるように遣わせたという由来から、供物として捧げるようになりました。

このように神社に甘酒は欠かせない存在であることから、甘酒祭や甘酒神事は日本全国に多数存在しています。豊作の感謝や祈願として甘酒を献上する、甘酒を掛け合うことで疫病流しや無病息災を願う、甘酒の出来具合で豊作か凶作かの占いをするなど多種多様な祭りが日本各地で開催されています。 

日本の祭りの特徴で、神様と人が共に同じものを食べるという『神人共食(しんじんきょうしょく)』という文化があります。これは神様にお供えしたものを人が食べることにより、神様は信仰を得て、人は神様からのご加護を授かるという意味があることに由来しています。

祭の際に、食べ物やお酒を配るこのような風習を「直会(なおらい)」といい、甘酒を用いた祭りや神社では甘酒を飲むことができます。

https://www.instagram.com/p/B9SZFdKJ950/?utm_source=ig_web_copy_link

甘酒に由来する祭

神社で参拝者に振る舞われる甘酒は酒粕を使用した甘酒が多いですが、今回は米麹からつくられた甘酒を飲むことができるお祭りをご紹介します。

 

淡嶋神社 甘酒祭

和歌山市加太にある淡嶋神社は全国の淡嶋神社・粟嶋神社・淡島神社の総本社で、主祭神は少彦名神、大国主、神功皇后です。人形供養で知られ、境内一円に全国から奉納された2万体にも及ぶ無数の人形が並んでいます。

この神社の始まりは神功皇后の時代、200年代(3世紀)頃の話になります。神功皇后が朝鮮出兵の岐路に、瀬戸内海で嵐に合われた際に、神に祈りを捧げると、「船を海流に任せて進めなさい」とお告げを頂いたそうです。そしてたどり着いた島が、神島(友ヶ島:淡路島と和歌山県(加太)の間の海にある沖ノ島の上に位置する小さな島にたどり着き、ここに祀られていた少彦名神と大国主に御礼の品を献上したそうです。その後神功皇后の孫である仁徳天皇(16)が、加太に移されたのが、現在の淡路島神社の沿革です。

少彦名神(スクナヒコナ)と大国主は共に国造りの神として活躍しました。祀られている少彦名神と大国主は共に酒造の神と言われています。

10月3日に開催される大祭(甘酒祭)では、少彦名神を酒造の神とし、新米で造った甘酒を神殿に備え、参拝者の無病息災を願い、授与します。振る舞われる米麹甘酒は、水筒やペットボトルを持参すると持ち帰ることもできるようです。

八幡神社 甘酒祭

愛知県一宮市にある八幡神社の甘酒祭は、もともと大永年間(1521年~1528年)の頃、青木川の左岸に三ッ井重吉城を築いた尾藤源内重吉(びとうげんないしげよし)の子孫である桑山氏が、旧暦815日に行っていた豊年祭り(農作物の豊作を祈る祭)です。明治30年ごろ、桑山氏が甘酒田として免租地となっていた神田(しんでん)を村へ寄付して以降、村全体の祭りになったと伝えられており、現在は10月の第4日曜日に行われ、市の無形民俗文化財に指定されています。神意により決められた甘酒と強飯(こわいい、おこわのこと)の宿元(やどもと)では、祭りの前日、神田で採れた米を使用してつくられた麹で甘酒を仕込みます。

祭当日は午前中、重吉本郷公民館で甘酒の振る舞いがあります。午前10時、甘酒ができたことを知らせる寄せ太鼓が鳴り響くと、村中の人達がそろって公民館に集まり、甘酒を飲み、語り合い、豊穣を感謝します。そのため甘酒は「和なごみ酒」ともいわれています。

神事が終わると、神殿から身を清めた裸の男達が、供えてあった甘酒と強飯の桶を持って参拝者のいる境内へ走り出し、それをまき散らします。これは、豊作を祝って境内一円の草や木にまで喜びを分かつことを意味し、これをいただくと悪病、災難を免れるといわれています。

 

牧野三所社の甘酒祭

愛知県名古屋市中村区にある牧野三所社とは、この地に古くからある牧野神明社、椿神明社、厳島社の3社を指しています。神明社(しんめいしゃ)とは、伊勢神宮の内宮と外宮の神様を祀る神社のことです。牧野神明社と椿神明社は、それぞれ伊勢神宮の内宮と外宮に見立てられた神社で、主祭神は牧野神明社(内宮)に天照大御神、椿神明社(外宮)に豊宇気毘売神が祀られています。厳島社には宗像三女神が一柱である市杵島姫命が祀られており、椿神明社の境外末社とされています。

この3社では毎年1015日及び16日に、甘酒祭と例大祭が開催されています。この3社の甘酒祭りは共通の起源を持ちます。甘酒祭りの起源は、椿ノ森社(牧野神明社)境内の笈瀬川の側に、綺麗な花を咲かせる藤の大樹がありました。そこに集まる見物客が近くの畑を踏み荒らすことが問題になっていました。そこで土地の人達は藤の木を伐採したところ、その年に悪疫が蔓延してしまいました。村の知恵者から「切り倒した藤の木の祟りで、家毎に酒を醸して神様に献上しなさい」といわれ、酒を造るのは難しいので、代わりに甘酒を造り献上することにしました。

笈瀬川(御伊勢川)の清らかな流水を用いて甘酒を造り、牧野神明社(内宮)と椿神明社(外宮)に献上し、残った甘酒を病人に与えたところ、病が癒えて平穏が戻ったといいます。

それから毎年、旧暦915(現在の1015)に笈瀬川の水で醸した甘酒を用意し、牧野神明社と椿神明社、そして厳島社、須佐之男社、稲穂社の牧野五社に献上し、神の御加護に感謝し、氏子の幸せと安全を祈る祭りとして今日にまで伝わっています。

 

牧野神明社

牧野神明社は伊勢神宮の内宮に見立てられた神社で、主祭神は天照大御神です。昭和203月に空襲で社殿が消失し、昭和27年に再建されました。

牧野神明社では1015日と16日の両日に甘酒祭が行われます。宮司による式典は16日の例大祭日の朝から執り行われ、祭囃子が町内を巡ります。15日の甘酒祭では式典などは行われず、神前に御神饌を供え、参拝者に甘酒を配るのみです。牧野神明社で振る舞われる甘酒には金餅(小さな餅)が2つ入っているのが特徴的です。

 

 椿神明社

椿神明社は伊勢神宮の外宮に見立てられた神社で、主祭神は豊宇気毘売神です。昭和20年の空襲の際に、本殿が焼失することなく今なお残っています。

椿神明社では1015日に甘酒祭、16日に例大祭が行われます。式典は牧野神明社と同じく16日の朝ですが、この日に甘酒接待はありません。 15日の甘酒祭りでは式典などは行われず、神前に御神饌を供え、参拝者に甘酒を配るのみです。

神社の本殿にある賽銭箱の横には、「甘酒受」と書かれた青い鍋が置かれており、これは起源の話にもあったように各家庭でつくった甘酒を奉納するための桶です。昔は木桶が置かれていたそうです。

 

厳島神社

厳島神社は椿神明社の境外末社で、主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。椿神明社と同じく、神社本殿の賽銭箱の脇には青い鍋の「甘酒受」が置かれています。昔は近所に麹屋があり、板状の大きな麹を購入して鍋一杯に甘酒を作り、歳児だけに限らず参拝者に甘酒を振舞っていました。また、各家庭でつくった甘酒を、お神酒を入れる瓶に入れ、牧野神明社、椿神明社、そして厳島社の3社に、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る稲穂社、素戔嗚尊を祀る須佐之男社を加えた「牧野五社」を参拝してまわり、5等分にして奉納したそうです。

 

 

阿蘇神社

熊本県阿蘇市一の宮町の阿蘇神社は全国に約450社ある阿蘇神社の総本社で、主祭神は建磐龍命(たけいわたつのみこと)とその家族神です。建磐龍命(たけいわたつのみこと)は初代天皇の神武天皇の孫にあたり、阿蘇一帯を開拓した神様です。

阿蘇神社では元日から3日までの3日間、米麹甘酒が振る舞われます。神への供物を調理する神饌(しんせん)所で神職や巫女たちが甘酒をつくります。竹の棒を使って炊きたてのもち米と米こうじを混ぜ合わせると、粘り気が出てほんのりと甘い香りが広がります。約 3万人分もの甘酒を1週間かけて仕込むそうです。また阿蘇神社近くにある道の駅阿蘇でも元日から3日までの3日間、先着100名に地域の米農家がつくる「甘酒のおふるまい」があります。

富岡八幡宮

祇園舟神事は、神奈川県横浜市金沢区にある富岡八幡宮の例大祭に行われる、青茅(あおかや)で作られた舟に1年分の罪や穢れ(けがれ)を託して沖に流すという祓え(はらえ)の神事です。800年以上前から続く伝統ある行事で、横浜市無形民俗文化財の第一号に指定されており、横浜の夏を代表する行事となっています。

祇園舟神事は、京都の祇園祭をはじめ、全国各地で6月に行われる夏越しの祓(なごしのはらえ)の茅の輪くぐり(ちのわくぐり)と同様、心身ともに祓い清めて暑い時期を迎えるための、昔ながらの神事です。

富岡八幡宮の祇園舟神事では、麦麹によって醸された甘酒を使うのが古くからの習わしです。しかし近年では麦麹の入手が難しいため代わりに米麹を使用しているそうです。秋に執り行われ、初穂の麦を海の神にお供えし、五穀豊穣と海の幸の豊漁に感謝する要素も合わせた神事でもあります。

富岡八幡宮は1191年(建久2年)に源頼朝公が当郷鎮護のために摂津・西宮の恵比寿様をお祀りしたのが始まりです。その後1227年(安貞元年)に八幡大神を併せ祀り、社名も八幡宮と改めました。そして古くから富岡八幡宮に残る縁起書にはこう記されているそうです。

「ある日、集落の一軒の家に托鉢の僧侶が訪ねてきたものの、その家には食糧がありませんでした。そこで家主は、差し上げる食べ物はありませんが、今日はお祭りなのでと、麦酒を差し上げたそうです。すると僧侶はその麦酒を茅の葉ですすり飲むと、実は我は八幡大神である。今日から我を祀れば、村人を守り、邪悪を退けようと言い残し、こつ然と消えたのです」。

富岡八幡宮のある金沢地区は、古くから漁師町として栄え、山に囲まれた地形のため水田面積が限られ、田畑では麦を作る人が多かったそうです。祇園舟神事に麦を使ったお供え物を用いるのは、昔ながらの風習が今に受け継がれているといえます。

7月某日の神事当日に、宮司は祇園舟の上にある、お供え物の麦だんごに麦麹で醸した甘酒をかけ、祝詞を奏上します(現在では麦麹の入手が難しいため米麹の甘酒を使用)。一連のお祓いの後、祇園舟は若衆たちの手によって、船溜りの浜まで運ばれていきます。

浜辺には、「八幡丸」と「弥栄丸」という2艘の和船が岸辺に用意されています。雅楽の音色が鳴り響く中、祇園舟をのせた和船が沖合へ到着すると、祇園舟は海へと放されます。祇園舟に託された1年分の罪や穢れから逃れるべく、八幡丸と弥栄丸の2艘は、競漕しながら岸を目指します。大きな掛け声に合わせて、白装束に身を包んだ若衆たちが和船を漕ぎ好勝負が繰り広げられる光景は壮観で、地域の人々はもちろん、多数の見物客を集める躍動的な神事となります。

 

まとめ

「国菌」といわれるほど、古くから日本人の生活に欠かすことのできない麹と、稲作文化の発祥以来、日本人の主食として親しまれ続けている米、この2つが出会ってできた麹甘酒にもやはり同じように長い歴史があり、日本人の健康面だけでなく精神性にも寄り添い、神々への信仰や伝統文化にも密接に関わってきました。初詣や神社でのお祭りで振る舞われる甘酒は、同じもののように思われがちですが、実はそのつくり方や原材料などにはそれぞれの特色が色濃く現れ、甘酒の由来を知ることはその神社の古くからの言い伝えや習わし、神事の意味を知ることにもつながります。

 

甘酒はその豊富な栄養素で私たちの健康増進や美容効果で注目されていますが、単なる栄養食品には止まらない長い歴史や奥深い魅力に溢れています。自然の恵みだからこそ生まれた甘酒にまつわる歴史的で時に不可思議な物語を紐解くことは、知的好奇心を刺激し、私たちの想像力を豊かに拡張してくれるのかもしれません。