アメリカ

シュリッツ社がビールの醸造所として営業を始めたのは1849年。

1年の間におよそ250バレルぐらいのビールを生産していた小さい醸造所でしたが、シカゴ大火をきっかけに発展していきました。

禁酒法が適用された時代には社名変更を余儀なくされ、イーストやモルト、ソフトドリンクなどを販売することによって凌いでいたのです。

シュリッツ社は、禁酒法が解除されてからはビールを醸造する企業として再び事業をスタートさせました。

1930年代には1年の間に平均およそ125万バレルぐらいのビールを製造しています。

1947年にアメリカで売上高が1位になり1950年に競合他社を買収したり新しい工場を建設したりして事業を拡大させ続けました。

1957年にビール業界トップシェアの座を奪われてからは返り咲くことはありませんでしたが、1970年代の中盤まではシェア2位の地位をキープし続けたのです。

1961年に就任したCEOが、1974年にビールの製造にかかる費用を削減しながら大量生産を実現するために12日かけていた発酵させるプロセスを、4日間にまで短縮させる新たな技術を取り入れました。

すると、品質が落ちたという印象を与え人気がなくなっていきます。

リコール 会社

1976年にビールの成分表示が義務化され、シリカゲルが成分として表示されるのを避けるため、新しい泡を安定させる薬剤を取り入れたところ、品質が低下してしまい多くのリコールが発生してしまったのです。

この事件がブランドのイメージダウンを招いてしまいました。

このような状況の渦中にCEOが急死し、経営が非常に混乱し売上高が1977年にはおよそ10パーセントぐらい下がってしまったのです。

その結果、シュリッツ社は他社に買収されてしまいましたが、シュリッツのブランドのビールは少ない量ではありますが今でも生産を続けています。

2001年からは缶ビールという形でしか提供してしませんが今ではアメリカ全土で買うことができます。

ビール

シュリッツ社は2008年に1960年代に製造していたビールを再現させたと発表しました。

1970年代に変更が行われる前に行われていた醸造方法は分からなくなっていましたが、1960年代に醸造する作業を監督していた方や味覚テスターをしていた方にインタビューをしたり残されていた文書を読み込んだりして、1960年代のビールの味わいを再現したのです。

テレビCMなどでキャンペーンが実施されたり何都市かで販売が始まったりしています。

そのために、今は同じブランドで1970年代以降に醸造している方法と1960年代に醸造していた方法の2つ醸造方法が行われているのです。

復刻版の販売はブランドを蘇らせるという意味で、マーケットには好意的に捉えられていて、企業の公式ホームページでも復刻版の販売を拡大させていくことが示されています。

1970年代以降に行われている醸造方法はこれから段階的に縮小していく見通しです。

かつてトップシェアの座を獲得していたシュリッツのビールが復活することを期待できます。