
最近では、知名度の高い酒米に飽き足らず、個性を出せる様々な米から日本酒が作られるようになりました。その様はまさに「百花繚乱」状態。
中にはすでに絶滅したと見られていた米なのに、たった700gだけ、とか、たった10gだけ種もみが残っていたことから、見事に復活させた米で作った復刻酒も有ります。
有名な酒米で作られた日本酒は星の数ほどありますが、復刻米で作られた復刻酒は味と香りに独自性があるだけではなく、原料米が少ないので限定酒となることが多く、TPP※1やEPA※2の発効を受けて訪日する海外バイヤーに向けても強い印象を与えます。
加えて、興味を引く歴史がバックボーンにあれば、さらに彼らの気持ちを揺り動かすことができるでしょう。
今回は、他の酒との差別化を図り、背景にあるストーリー性の発信までも可能な日本酒のご紹介です。
※1, TPPとは、環太平洋パートナーシップ協定(Trans-Pacific Partnership Agreementの略称)。太平洋を囲む国々の、関税を撤廃する貿易協定のこと。
※2, EPAとは、日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(Economic Partnership Agreementの略称)。主に輸出入にかかる関税を撤廃・削減し、国や地域同士での貿易や投資を促進する条約のこと。
400本の限定酒!100年前の復刻米『辨慶』利用
ネーミングからして強烈な印象の辨慶は、大正時代に作られた酒造好適米。今から100年前に生まれて栄華を極め、山田錦の登場で消えていった酒米です。おそらく、現代では酒米としての「辨慶」の存在を覚えている人は少ないでしょう。
しかし、100年前に辨慶を栽培していた地元で町おこしの一環として「辨慶復活プロジェクト」が持ち上がったことから、辨慶が現代に再び蘇ることになったのです。
酒米の王様だった過去を持つ辨慶
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現在の酒米の王様は、言わずと知れた「山田錦」。
山田錦の特徴は、
- 米は大粒
- 高度精米に耐える
- 心白も大きい
- 破精込み(はぜこみ)が良い
- 脂肪・たんぱく質の含有量が少ない
- 粘性が低い
と、酒造りのための必要条件をすべて備えており、醸造適性が高い品種としてもっとも人気があります。
しかし、実は辨慶も、100年前には酒米としての王座を確立していた、という過去を持っています。
辨慶は山田錦と同じく、大きな米粒と心白を持った酒米で、戦前までは兵庫県内でもっとも多く作られていた酒米だったのです。
辨慶の栄枯盛衰の物語
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辨慶は、兵庫県立農事試験場が、「辨慶1045」を純系淘汰(辨慶の中でも優れた株だけを選んで残していくこと)したもので、1924年には奨励品種※に指定。
※奨励品種とは、その土地の気候・土壌条件、需要動向などを考慮し、県内で普及させるための優良品種を奨励された品種のことです。
その当時は、藤原道長が詠んだ有名な一句「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」のように、辨慶は「自分の人気はあの満月のように欠けることはないだろうね〜♪」なんて思っていたのではないでしょうか。
ところが、1923年に山田穂(やまだぼ)を母、短稈渡船(たんかんわたりぶね)を父として人工交配が行われたことから「山田錦」が誕生。その後、山田錦は産地適応性の試験を受け、1936年には奨励品種に格上げ。
今まで安定した帝王の座に座っていた辨慶に突如ライバルが出現し、辨慶人気は急降下してしまいました。
その後、需要が増加し続ける山田錦とは裏腹に、辨慶は1955年に奨励品種指定さえも外される、という悲劇にみまわれます。
それからと言うもの、辨慶を作る農家は一軒も現れず、誰もがその存在すら忘れかけていたのです。
「復刻米辨慶」、「霊験あらたか弁慶母の墓」、「暴れん坊弁慶」で夢前町とリアル連携
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ところが、観光客のさらなる誘致を図る兵庫県姫路市夢前(ゆめさき)町が「夢前ゆめ街道づくり実行委員会」を2013年に発足したことから事態は急展開。
地元の創業200年以上を誇る老舗 壺坂酒造をはじめとする地元企業、県立大などが一致協力して決めた町の活性化のためのプロジェクトのキーワードは「100年前」。
100年前といえば、辨慶が産声をあげた年です。ところがそれだけではなく、実は夢前町は弁慶と深い関係がある土地柄だったこともわかったのです。
弁慶は近くの寺院で大暴れ
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夢前町から車で20分の距離にある書写山円教寺は「ラスト・サムライ」や「軍師官兵衛」のロケ地として有名ですが、武蔵坊弁慶が少年時代に修行を積んだ寺だった、ということが判明。
円教寺内には、現在でも丸太を荒削りした2mほどもある弁慶の大机が残っています。
また、昼寝中に顔に落書きされた弁慶が汚れを落とすために使った「弁慶の鏡井戸」も現存、その後怒った弁慶が火のついた棒を振り回して暴れたため、山内の建物が焼き尽くされた、という話もあります。
夢前町にある、慈愛溢れる弁慶母のお墓
また、夢前町玉田の北野神社には「弁慶の母の墓」と伝えられる石仏が存在していることもわかりました。
暴れん坊の弁慶を心配して、自分が天に召さた後も、病気の時にこの暮石を削ってお飲みなさい、そうすればすぐに治るから、との母心があったのか、実際に飲むと霊験あらたか、という言い伝えもあり、お墓はかなり丸くなっているとのことです。
復刻米辨慶で田植えと米造り開始
生誕100年目にして、誰の記憶からも葬り去られている辨慶。
辨慶復活プロジェクトを起こしたのはいいものの、さて、辨慶はどこで手に入れたらいいのか、という問題が持ち上がってきました。
しかし、幸運なことは続くものです。
加西市にある県立農林水産技術総合センターに、わずか700gの種もみが残っていることが判明!
さあ、辨慶100年プロジェクトのスタートです!
トントン拍子に進む、辨慶田植え、辨慶取説発見、蔵付き酵母採集
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まずは、夢前町の米農家の水田で稲を育てることから開始。たった700gの米だから、失敗は許されません。さぞかし、プレッシャーで押しつぶされそうになったことでしょう。
かたや、壺坂酒造では希少な米を台無しにしてはいけない、という責任感から資料を探し求め、ついに100年前の杜氏が書き残した辨慶の酒造記録を発見。
吉備国際大農学部醸造学科の協力も仰ぎ、壺阪酒造の酒蔵の梁、壁、柱などに生息していた蔵付き酵母の採取も完了。
蔵付き酵母のおかげ?ちはやぶる辨慶も穏やかな日本酒に変身
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今では使う酒造も少なくなった蔵付き酵母は、壺阪酒造では長い間使われていなかった水桶から採取されたものが選抜され、それを培養したものを辨慶の醸造に使っています。
100年以上も住み着いている酵母だから、「日本酒に酸を感じさせ、野生味がたっぷり現れる酒質になるのではないか」と思われていましたが、実際に使ってみると、発酵力も十分。性質は、いわば「きょうかい7号酵母」と「きょうかい9号酵母」の中間あたりの穏やかな性質の酵母が蔵に棲みついていたのですね。
復刻米辨慶限定酒「雪彦山 呼應 100年」と命名
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100年前の復刻米と100年以上前の酵母菌、そして100年前に書かれた酒造記録。それらが武蔵坊弁慶の歴史的存在で1つにまとまり、100年後の現代の杜氏と農家を巻き込んで、お互いに呼応し合ってできた日本酒は『雪彦山(せっぴこさん) 呼應(こおう)100年』と名付けられました。
『呼應100年』を100年前の日本酒を想像しながら飲むと、その繊細で現代的な仕上がりに驚きます。まったく正反対だからです。
フルーツを思わせるほのかな香りと、バランスが取れた酸味と甘み。どこか郷愁を感じる膨らんだ旨味を感じさせた後には素早くキレて喉の奥に消えていきます。
確かに、100年の時空を超えて人とモノがお互いに呼び合って完成した日本酒、というロマンを感じさせる日本酒が完成したのです。
復刻米辨慶限定酒「雪彦山 呼應 100年」入手先
https://www.instagram.com/p/BBh3_RZr-QA/?utm_source=ig_web_copy_link
2019年3月に完成した『雪彦山 呼應 100年』は限定400本の発売という超レアな日本酒。町おこしの一環として造った日本酒なので、予約や発送などはしていません。手に入れるためには夢前町の蔵元まで行く必要があります。
今後、辨慶の収穫量が増えれば手に入りやすくなるかもしれませんが、今年はドライブがてら夢前町へ足を伸ばすしかありません。
価格は、1本500ml入り2,160円。壺坂酒造(姫路市夢前町前之庄)でのみ購入可能です。
酒造適正抜群の復刻食用米『萬歳(ばんざい)』で復刻酒「萬歳」
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食用米萬歳の歴史は古く、大正天皇が即位された大正4年(1915年)11月の、五穀豊穣を祈る大嘗祭(だいじょうさい)に献納された、という由緒正しき米ですが、その後は作る農家がなくなっています。
その米がなぜ栽培されなくなったのか…。その理由は不明です。どこにも記載がなく、深い謎に包まれた消滅事件なのです。
種もみ10gで復刻米作り
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育種研究技術の発展で、農家が米を作りやすい新種が生まれたことで絶滅した米も多いのですが、食用米萬歳もその道を辿ったのでしょうか…。
失われた米の原因はさておき、徳川家康の生誕地として有名な愛知県岡崎市では、大嘗祭から100周年にあたる平成27年(2015年)を目前にしていました。その頃、地元の農家が県農業総合試験場に萬歳の種もみが残っていることを知り、10gで試験的栽培を試みたのが復刻米作りの始まり。
その後、岡崎市にある六ツ美村※も本格的な復刻米作りに挑戦。めでたく大成功を収め、萬歳の玄米2,400kgを収穫しています。
※六ツ美村(現岡崎市中島町)は大正天皇即位の際、萬歳米を作り、大嘗祭でその米を献納した村、という深い関連性がある土地。
復刻食用米萬歳で復刻酒は作れるのか
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なぜだか今まで放って置かれた萬歳なのに、ここから萬歳の身辺は急に慌ただしくなってきました。
それは、六ツ美村の人々が、食用米ではあるが復刻米萬歳で日本酒が作れないものだろうか、と考えたからです。
そこで酒米分析に出したところ、萬歳は酒米として有名な「雄町」にも劣らない優れた特性を持っていることがわかったのです。
その特性とは、
- 千粒重は雄町より重く大粒
- 心白構造も有る
- 日本酒にとっては少ない方がいいタンパク質も雄町よりも少ない
- 食べて美味しいだけではなく、日本酒作りにも適している
なんと日本酒造りに最適では有りませんか!
復刻酒「萬歳」完成
もともと食用米だったので復刻酒、と称するのは変ですが、この結果を参考にして、同じく岡崎市にある丸石酒造では6割磨いて純米酒を醸しています。
それが、炊きたてご飯を思わせる「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の黒ラベルを纏った純米酒。
100年前に大正天皇のお口に入った復刻米は今や復刻酒として蘇っています。
こちらも限定酒なので、早めに手に入れてくださいね。
剣菱が身銭を切って守り抜いた『愛山』
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さて、次にご紹介する復刻米は、栽培の難しさからほどんど見捨てられていた酒米。
しかし、ある酒造が自腹を切り、一部の契約農家と協力して細々と40年間守り続け、今ではあの十四代で有名な高木酒造も使うほどに人気が出ている愛山(あいやま)です。
現在では雨後の竹の子のごとく愛山を冠した日本酒がどんどん出回っていますが、以前は剣菱のみが守り続けて独占していた酒米だったのです。
倒れやすくても米粒は山田錦以上の愛山
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愛山は両親ともに雄町系統。山田錦に比べると、背が高く米粒のサイズも大きく倒伏しやすいため、栽培は非常に難しいとされており、農業改良実験所でさえ途中で試験を放り出すくらいの酒米でした。
周辺の農家が山田錦を作っている中、なぜか剣菱は農家に愛山の栽培を頼み込みました。
剣菱も契約農家にいやという程頭を下げたことでしょうが、頼まれた契約農家も大変です。
愛山に比べれば育てやすい山田錦を作ってさえ入れば一定の収入があるのに、倒伏しやすい愛山では米作りの苦労も並大抵ではなかったことでしょう。
復刻米ではない愛山
細々ではありますが、一部の篤農家と剣菱によって40年間守られてきたので、愛山は「復刻米」とは言い難い、とお叱りを受けるかもしれません。
剣菱酒造は1995年の阪神・淡路大震災で被災。もはや愛山を使っての酒造りが不可能になった時期もあり、また興味深いエピソードが多いためご紹介したく、無理やり「復刻米」のカテゴリーに入れてしまったことを前もってお詫び申し上げます。
愛山の特徴
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愛山は約80年前の1941年に兵庫県立明石農業改良実験所で誕生しました。
米粒の大きさは山田錦と同じか、それ以上の千粒重(28.3g)の大粒サイズ。しかも心白発現率が高く、さらにもろみの中で溶けやすい、糖化も早い、という酒造好みのエリートタイプ。
剣菱が愛山にこだわった理由
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逆に言うと、心白が大きすぎることで米が砕けやすくなり高精白することが難しい、さらに砕米が多くなれば雑味が多く、スッキリした味の日本酒になりにくい、という弱点もある、気難しい米でもあるのです。
しかし、ここに着目したのが生酛※純米70%磨きがお家芸の剣菱。扱いにくいとされる愛山でも、濃醇で独特の風味を出せる腕のある酒造だからこそできるワザを持っていました。
※生酛(きもと)造りとは、乳酸菌を空気から取り込んで乳酸を作り出し、酒造り失敗の元凶である雑菌や野生酵母を駆逐する昔ながらの方法。しかし、時間と手間がかかる、日本古来の日本酒造りの技法でもあります。生酛造りでは、酒母が完成するためには1ヶ月かかりますが、出来上がりはしっかりした味わいの日本酒になります。
剣菱の悲劇:震災で愛山は他酒造の手にわたる
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しかし、剣菱は震災で大きなダメージを背負い、酒造りを一旦諦めることとなります。
その後は、どの酒造も愛山を使わない状態となっていましたが、高木酒造が中心となり「酒道の会」を作り、合法的に買い上げることで愛山が再び普及。
ネットでは、この時に剣菱が訴訟を起こした、とか、起こさなかったとかの噂もあり、真実かどうかは闇の中ですが、いろいろと謎多き酒米です。
とはいえ、失われかけていた愛山は、復活した現在でも流通量は少ない酒米。
しかし、多くの酒造が注目している高価な酒米で、その意味でも「限定酒」と銘打って発売されています。
令和元年だけ!「お父さんありがとう」限定酒にもご注目!
復刻酒では有りませんが、ここでおすすめしたい日本酒は、天皇の譲位により平成から令和元年になった今だけの限定酒、『祝令和元年』です。
約200年ぶりの天皇生前譲位、そして退位した天皇陛下は「上皇陛下」におなりになる、と言うことで、日本国民全体がめでたく感じる年にだけ味わえる純米大吟醸。
いつもは「プレゼントなんて今更恥ずかしいよ…」と思っている娘さんや息子さんたち。日頃大切に思っているお父様に令和元年をお祝いする流れで、すんなりと「ありがとう」と言いながら渡してみてはいかがでしょうか。
忙しくて父の日に送るタイミングを逃してしまった人も、まだ遅くはありません。
今年だけの金箔入り限定酒です。ぜひ日頃の感謝を込めてお父様にプレゼントしましょう♪
まとめ:100年を超えて限定酒として蘇る復刻酒
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現在では「人生100年時代」なんて言われていますが、酒米や食用米は100年以上も生きて復刻米として蘇り、復刻酒や限定酒として、またもや私たちを魅了します。
日本酒を多様化し、ブランドを差別化するために酒米の新品種の開発が行われていますが、復刻酒の試みも各地で盛んです。
今回ご紹介した復刻酒は、「100年・弁慶」「100年・大正天皇・徳川家康」「守り続けられた酒米・酒米を絶滅から救った蔵元」など、海外で興味を持たれそうな話題多き日本酒たちです。
ここ数年、日本酒の輸出には国も力を入れています。
それを受けて、ジェトロ(独立行政法人 日本貿易振興機構:日本と海外のビジネスの架け橋役)も海外の日本酒バイヤーを国内に招く働きを強めています(詳細はこちら)。そのほか、ジェトロは海外での日本酒商談会も頻繁に行なっていますが、そこで光るのは、その蔵で醸した日本酒の特殊性。
ドバイで1本60万円で売られている日本酒だって、海外の客に不思議の国ニッポンをアピールできるストーリーがたっぷりな事でブランディングに成功した、とも言えます。
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🔸世界で日本酒が高騰中!あの女性歌手も魅了『1本60万円』の日本酒の正体🔸
オイルマネーで潤うドバイに代表されるように、世界中からリッチな人々が訪れる都市では、なんとボトル1本60万円(720ml)の値がつけられている日本酒も存在しています…
私たちは国内にいても、100年前に思いを馳せて限定酒を楽しめます。
しかし、海外バイヤーにも注目してもらうことで日本酒の輸出にさらに拍車がかかり、日本酒業界がもっと元気になる。そして、国内でもさらに美味しい日本酒が飲めるようになって、さらに日本酒ファンが増える、そんな未来になることを期待しています。